【会 期】2025年2月28日(金)- 3月23日(日)
【休 廊】月火水木
【時 間】金 15-19時/土日 13-18時
【場 所】gallery neo_/ Senshu
〒305-0047 茨城県つくば市千現1丁目23-4マイコーポ二の宮101
https://goo.gl/maps/eM96mwgMjcfLFvdW6
【入 場】無料
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多分、交通と通信の極度の発達に関係すると思いますが、ルネサンスから20世紀初頭のヨーロッ パの大画家達のように、その人独自の作風で、膨大な数の良質の作品を制作することは21世紀の 今の作家には不可能だと思います。 高い水準に達するのは割合簡単になってきていると思いますが、それを同じ作風で維持するのが あまりにも難しい。 一点一点その到達点から降りて、次の新しい高みに登る方が効率よく水準を維持出来ると私は 思っています。 ただし、スタイルが一点一点、違ってしまいます。他人から見ると同じ作家の作品とは思えない 有様になります。 私の作家人生は常に他人に生まれ変わり続けているようなものです。或いは私という作家は大勢 の作家の集合体と言って良いかもしれません。 65歳の今まで、木彫、洋画、陶芸、陶彫とジャンルを渡り歩き、スタイルもてんでんバラバラで す。 その中で、今回の個展は、表面にいろいろのオブジェが多数ついた作品を集めてみました。 それぞれ、出発点と経路は違いますが、割合同じような結論にたどり着いた作品群です。 他にもいろいろな作風、ジャンルの作品群が有りますが、このパターンの結論が一番多いようなの で私のスタイルと言えるのかもしれません。 性的な要素も強く暗いとは思いますが、よく見れば21世紀の個人の表現に相応しい小さなの構え の中に、膨大な情報量を持った豊かな作品群と自負いたしております。 なお、副題の=鬱=ですが、もとより鬱鬱とした作品内容に加えて、コロナ禍のもと陶芸家生活の 過重労働の疲れとともに、上記のような私の作家生活がいかに理解を得られない浮世離れしたも のであったかを思い知り、鬱病になったことによります。
ー鈴木 厚ー
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鈴木厚 Atsushi Suzuki
https://www.ginyou.net/
誕生 1959=昭和34年 千葉県生まれ
彫刻家鈴木実、日本画家鈴木芳子の長男。 今思えば戦争の疵痕の色濃い時代に生まれた。
1978-1983
東京造形大学造形学部美術学科彫刻専攻 佐藤忠良、岩野勇三、渡辺隆根、大成浩、三木俊治、田村史郎の各氏に師事。写実的な塑像中心 の実技指導であったがあまり馴染めず、初めは下宿の部屋で木や絵を、後には学校の石彫場で石 を彫っていた。 彫刻家・画家として 1983 作家活動開始。秋川のアトリエで制作。芸大の大学院も落ちたので、秋川市の書道塾だったトイ レ付きの板の間の小屋を借りて制作した。仕送りしてもらっていたのでアルバイトもせず、一週間 誰も他人と口を利かないということも多かった。
1985 ・
東京神田の真木画廊にて初個展。「ママ・シムラ」「田園の恋」「きみこ」「自刻像」「ひと」 など絵も彫刻も出品した。大学の先輩に当たる彫刻家舟越桂さんがご来場、「鈴木君は色々でき て良いね。」「頑張っていろんな自分を見つけてください」というような言葉で励ましてくさったのは 良い思い出。 個展終了後、茨城県取手市の実家に戻り父の手伝いをしながら制作をするという生活になった。
1986
・「EXE86」 代々木ゼミナールギャラリー
1987
・「絵を描く彫刻家と彫刻する画家」(日下正彦氏と2人展) orb
1989
・「EXE87」 代々木ゼミナールギャラリー
・個展 ギャラリーQとギャラリー+1(同時開催) 紙の彫刻「鈴木家」油彩「亜欧堂田善」「海辺の犬」「バカ息子」等大作を多数出品。 亡父実の友人で芥川賞、谷崎潤一郎賞作家の小説家故小島信夫氏が来場して「思ったより良い」 「 表現は一寸先はやみ」。「一度きり」、「変なことを散々やると、ごく普通のことが新鮮に見えてくる」 との私の言葉に「それしかない」、「お父さんと違って真ん中にドンと置きたいんだね」 などのお言葉を頂戴した。
1990
・原風景Ⅴ 東京都美術館 絵画大作「8 1/2」出品
1992
・個展
1993
・個展 ぎゃらりーQ 「 月を視る男」を出品した。 亡父の友人で小説家の小島信夫氏がまた来てくださったが「変わった」と。その後、私とのやり とりはなくなってしまった。
1994
・個展 ギャラリーK
1996 結婚 柏の借家での制作を開始
2000
・個展 ギャラリーK 「 まきこちゃんの像」などチーク材寄せ木の等身大像中心の展示。
2001
・「ニューアートin市川」(立体部門優秀賞) 市川市文化会館 「 まきこちゃんの像」
2002 父の彫刻家鈴木実が自死
2003 茨城県取手市の実家に転居。以後亡父実の残してくれた仕事場で制作。
2004
・個展 ガレリア青猫 彫刻家、画家としては最後の個展。「無垢の人」出品
2005
・「ar(t)bank アーティストの見本帖」
2006
・「歩会彫刻展」会員になり以後毎年出品(2010年まで)
2007
・「常総市まちなか展覧会サイハッケン!」
2008
・茨城国民文化祭「取手美術のあゆみ展」芸大取手校地美術館 「 無垢の人」出品
2021
・「とリで美術のあゆみ」取手駅ビルたいけん美じゅつ場VIVA
とりでアートギャラリー 「 月を視る男」を再塗装して出品
2022
・この頃より陶磁器による彫刻中心の作家生活に戻る。
陶芸家として
2004 陶芸家としての活動を始める。
茨城県取手市の自宅に大築熔炉工業製のガス窯を購入設置した。
屋号を「銀窯」とした。陶芸の初歩をいしど陶芸教室にて花野井窯:伯耆田幸夫氏に、専門的には
親戚の元窯:鈴木智氏に多くの教示をたまわった。鈴木智さんにはその後も販路を紹介してくれるなど大変お世話になった。磁器についてはmixiで知り合った有田の筒井辰也氏に多くの教示を頂いた。又少し後にだがウェブサイト「現在は閉鎖)を通じてすくも窯:高橋良夫氏にも磁器について多くを学んだ。
2006
・みやぎ村田町蔵の陶器市に出店 以降、毎年出店
陶の置物をメインの出店だったが、一点も売れず初めて3ヶ月の染付がかなり売れた。なかなか楽しかった。
2009
・1月「新しい生活の提案展」 日本橋高島屋暮らしの工芸にて。 初めてのデパート、嬉しかった。
・10月「新しい食卓の装い展」 日本橋高島屋暮らしの工芸にて
2011
・「陶磁とうるし・春の新作展」 日本橋高島屋ギャラリー暮らしの工芸
・「寛ぎお茶時間」 暮らしのうつわ花田
・鈴木厚個展 OMONMA TENT 絵画、彫刻の代表作と陶磁器の展示
・鈴木厚陶磁器展 金沢美術ギャラリー曜耀
陶磁器のみ出品の初めての個展 First solo exhibition as a ceramist.
2012
・鈴木厚陶磁器展~紋様天国~新宿高島屋 AUFHEBEN OMONMA TENT 元窯:鈴木智氏との2人展
2013
・鈴木厚陶磁器展~紋様ラプソディー~やねうら画廊
・「春の新作ー陶芸3人展」ー 日本橋高島屋ギャラリー暮らしの工芸
・鈴木厚陶磁器展 大沼山形本店
昼は画廊につめていたが、夜一人で雪の山形の街をフラフラ歩き回るのは楽しかった。ウィークリーマンションに宿泊。
2014
・ 鈴木厚陶磁器展~紋様は魂だ~ 金沢美術ギャラリー曜燿
・「夏の器展」 日本橋高島屋ギャラリー暮らしの工芸
・鈴木厚陶磁器展 ~人間のいる器~ギャラリールヴァン
・鈴木厚陶磁器展~もの言う器~やねうら画廊
2015
・『陶磁とガラス作品展」日本橋高島屋ギャラリー暮らしの工芸
・鈴木厚陶磁器展~啻ならぬ器~ギャラリーマルヒ
2016
・鈴木厚作陶展~新しき器~高島屋新宿店10階ギャラリー暮らしの工芸
高島屋側から、政治的、性的表現が不適切と言うことで10点ほどの作品の出品を拒否された。
・鈴木厚陶磁器展~人間の器~田中酒造店やねうら画廊
2017
・~陶と鋳~銀窯、いもの道具みちくさ共同展 ギャラリーマルヒ
・~器は踊る~銀窯鈴木厚陶磁器展 ギャラリールヴァン
2018
・人像展 平八画廊 岩野亮介/広野多衣子両氏と3人展
2019
・銀窯鈴木厚個展~ただならぬ器Ⅱ~ ギャラリーマルヒ
2020
・「とリで美術の今」 取手駅ビルたいけん美じゅつ場VIVAとりでアートギャラリー
2021
・「とリで美術のあゆみ」取手駅ビルたいけん美じゅつ場VIVAとりでアートギャラリー
コロナ禍があけてどうするか思案中ですが、自分のためにも家族のためにも、また応援してくださっているか方々のためにも後世に残りうる作品を一つでも多く制作するつもりでおります。
また、平田中賞、中原悌二郎賞をとってかなり活躍した彫刻家だった亡父実は「年取って有名でない芸術家は偏屈で扱いづらくていけない。」というようなことを若い私によく話していた。
これからこの私も大活躍する可能性もゼロではありませんが、65になった今はなかなかの苦境。
しかし、有名芸術家でなくともまともな人間でいられることを証明すべくいい人間でいる努力はしたいものだ。
【展示に関するお問い合わせ】
mail:info@neotsukuba.com